公開日:2016年10月1日

天罰バチ(罰)が当たる人と当たらない人がいるのはなぜ?

[この記事に書かれていること:目次]

世の中にはいろいろな生き方をしている人がおられますよね。

私自身正しい生き方をしてきたとは言えませんが人の悪事はよく目についたものです。

どうしてあんなに道徳に反した生き方をしている人にバチが当たらないのだ?と思ったこともあります。

皆様も心当たりございませんか?









天罰の特徴・バチが当たる人と当たらない人がいるのはなぜ?

まじめに生きている人が苦労して、どうして道徳に反した人が何事もなく生活しているの?

それどころか人を騙して踏み台にするような人がどうして楽しそうに生きてるの?って思いますよね。

そんな時は
「天罰がくだれ!」
と思うこともあると思います。

しかし現実は天罰がくだる気配はまったくなく…「神様なんていない…」と思ってしまうのです。

天罰はないの?バチが当たらないアイツが憎い!

ご相談を受けていても「私ばかりが不幸になって、私を不幸にした人にどうしてバチが当たらないのですか!!!」と、強く訴えられることがあります。

道徳に反した生き方をしているアイツに天罰がくだらないのはなぜだ…

「天罰がくだらないのはなぜなんだー!」
と思うのが心情だと思います。

天罰という表現は神様がバツを与えるという意味になると思いますが、厳密には神様が罰を与えるのではなく、因果応報のことです。

天罰は、神様がバツを与えるというよりは、因果の法則により自然と報いを受ける日が来るということです。

天罰は、神様が天罰をくだすのではなく、未来の自分の首を絞めている行為です。

道徳に反したことをすればそのことが原因で痛手を負ったり、そっくりそのまま返ってきたり、いずれマイナスとなり返ってきます。遅いか早いかの違いです。

バチが当たらない人はいる?

道徳に反した生き方をしていてもバチが当たらないまま一生を終える方も確かにいらっしゃいます。

その場合カルマが消化されることなく来世に持ち越されます。負が蓄積されたまま来世を迎えることになり、来世でまとめて返ってきますので大変です。

天罰がくだらずバチが当たってないようにみえる人は逆に不幸で、過ちに気づかなかった報いをまとめて受けることになります。

カルマは蓄積されるよりもその都度消化されたほうが本人にとっては幸せなこと、間違いに気づき早く正せば傷は浅くてすみます。

誰かのことを憎んでいたとしても、遅かれ早かれその人には天罰がくだります。あなたの魂を復讐心や妬みで汚してはもったいないのです。その気持ちはあなたに返ってくるので、あなたに天罰がくだってしまいます。恨んでも何も良い事はありません。

たとえ「天罰がくだれ!」と思う人がいてもあなたが手を下してはいけません。ずっとバチが当たらない人などひとりもおりません。

負のカルマを背負ってはいけません

復讐をして想いを晴らしたとしてもあなたは負のカルマを背負うことになります。

また誰かを恨む感情は、因果の法則(因果応報)により自分に返ってきます。

天罰がくだらないアイツが憎い!と思っても、その感情はあなたにとってマイナスにしかなりません。

あなたが手をくださないことはもちろんのこと、そこに気持ちを向けるよりも、自分が幸せになることに気持ちを向けたほうが充実した人生になると思います。

腹の立つ人がいたとしてもスルーできるほどの器を持てたら素晴らしいことです。そんな大きな器を持つためにも私達は輪廻転生をしているのです。

この世には、良い事があれば悪い事もあるというのは当然だとお話させて頂いておりますが、悪いことを罰だと捉えるべきでしょうか?

よく「そんなことをしてるとバチが当たる」とか「天罰が下る」とか言いますが、そもそも悪い事が起こるのを罰だと言うことに疑問が残ります。

確かに悪いことをしたり、悪い思考を巡らせているとトラブルに巻き込まれることが多くなるのは確かです。人を傷つければ、いつか自分が傷つけられます。

それを天罰と言えばそうかもしれませんが、それは「傷つけてはいけないよ」という気づきを与えるための因果応報です。

他にも、努力をした結果芽がでるというのも、努力をしたことに対する因果応報です。

「遊びほうけていたらロクな人生にならないよ」と言われていた人がロクな人生にならないのも因果応報です。

天罰とは、天が罰を与えるという解釈もできますが「身から出た錆」であり因果応報のことです。言い方を変えると、未来の自分に対して自分で天罰を与えていることになります。

すべては、身から出た錆の天罰であることに違いありません。

罰を与えた天を憎むのではなく、未熟だった自分を省みることが大切です。人は必ずその機会を与えられます。

この世に起きる悪い事はどんなことでも、ただの罰ではありません。そこにあるのは学びです。

未熟さに気づかせ、正すことが罰と言えるのでしょうか。罰というよりも正しい方向へ導くお導きではないでしょうか。

天罰は人を正す為の気づきとなります。

 












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