大我と小我はここが違う!違いを見分ける4つのポイントとは?

大我・小我

スピリチュアルでは、「大我(たいが)の愛」と「小我(しょうが)の愛」二つに分けて愛を表現しています。

文字の通り対照的で、意味も大きく異なり、私たちの魂は「大我を学ぶため」に日々壁にぶちあたり、失敗を繰り返しているといっても過言ではありません。

この記事では「大我の愛とは何か」「小我の愛とは何か」について詳しく説明をしておりますので、「なぜ大我が大切なのか」理解を深めるきっかけになれば幸いです。

大我と小我を見分けるポイントとは?

 

大我4つのポイント

  • 見返りを求めない愛、無償の愛
  • 親のような大きな愛
  • 感情ではなく理性
  • 結果に対して責任が取れること

この4つが大我の基準とされており、これらを理解していれば「どういうことを小我というのか」一目瞭然で、ハッキリと見分けることができます。

では、具体的な例をあげて「大我と小我を見分けるポイント」を考えていきましょう。

大我は見返りを求めない愛、無償の愛

大我とは、見返りを求めない愛や無償の愛、利他愛が基本です。

見返りとは、物質的なことだけではなく、精神的なことも含まれます。

見返りを求めずに愛情をかけられる心は、まさに大我の愛と言えます。

物質的な見返りとして、例えば「バレンタインデーにチョコレートをあげたから、ホワイトデーのお返しを期待しています!」これは見返りを求めていますので、大我ではなく小我です。

大我とは、「あなたにチョコレートを食べてもらえるだけで十分、お返しなどいらない」と思えることを言います。

精神的なことで言えば「あなたにこれだけ多くの愛情をかけてきたのだから、それに答えて当然でしょ!」と考えるのは小我です。

大我の愛とは、たとえ愛情をかけてもらえなくても、自分は相手に愛情をかけられることを言います。

「愛されたい…」これは小我です。

こうした見返りを求める愛を小我と言い、求めない愛を大我と言います。

そもそも人間は、小我の塊です。魂は輪廻転生を繰り返し、この世で様々な経験を通じて、少しずつ大我に目覚めていきます。

私達が、小我であるのは当然のことですが、少しでも大我に目覚めることが魂の成長になり、それが私達の生まれてきた意味です。

大我は親のような大きな愛

「大我=母性」と言われています。大我を親の愛情だと考えればわかりやすいですね。

親の愛には、子供の苦しみを自分の苦しみのように感じられる深い愛情があります。

「子供のためなら死ねる」という言葉を聞いたことがありますが、まさに親の愛です。

自分のことを顧みずに、自身を犠牲にしてまで子供を守ろうする親の愛情は大我です。

また、子供のためを思い、わざと厳しくしたり、嫌われ役を買って出るのも大我です。

嫌われるのが怖いからと甘くなるのは、自分可愛さ故の行動であり、小我になります。

しかし、厳しくする理由が親としての世間体を気にしてのことなら小我になります。

厳しさが本当に子供のためなのかどうかが分かれ目です。

大我は感情ではなく理性

大我は、理性そのものとされています。

かといって感情のすべてが、小我ではありません。

人は感情的になりますが、怒りや悲しみは小我になります。

わかってもらえなくて腹が立ったり、愛してもらえなくて悲しくなったりするのも小我です。

大我は、相手にわかってもらえなくても腹を立てることもなく、理性的にわかるまで説明するのみです。

大我は、愛されなくても、相手が幸せなら悲しみません。

愛されたい感情は、自分可愛さの小我の感情です。

大我とは感情的ではなく、冷静沈着に理性で物事を考えることを言います。

大我は結果に対して責任が取れること

これは「無理をしない」ということです。

無理に良いことをしようとしても、自分の器以上のことをすれば、無理が祟ります。

できないものはできない!とハッキリ伝えることも、大我とされています。

つまり、自分の器を知った善意が、大我になります。

善意を持つことは大切ですが、やせ我慢の善意が大我になるのか?と言えば違います。

大我の善意とは、自分の器を知った上での善意が前提となります。

以下のお話は、大我の善意を知らない話です。

私は、子供の頃から動物が好きでした。

私の子供の頃は、捨て猫などをよく見かけた時代です。

学校の帰り、歩いていたら、「にゃ〜にゃ〜」と子猫の声が聞こえ、鳴き声の先を見ると、そこには子猫が捨てられていました。

当時小学二年生だった私は、可愛い子猫が泣き続けている姿を見て可哀想に思い、子猫を抱き上げて家に連れて帰り、家で飼うことになったのです。

放っておいたら死んでいたかもしれない猫を可哀想に思い、拾って帰ったまでは善意の行為だと思います。

しかし、大我の善意か、小我の善意かは、その後の行動で変わります。

子猫を拾い、二年くらい育てたでしょうか…

ある日、引越しをすることになりました。

引越し先は、借家で猫を飼うことは禁止されていました。

そのため、父が猫を遠くに連れて行き捨てたのです…

飼っていた猫を捨てるのは、我が子を捨てるも同然で、ハッキリ言って酷いことです。

可哀想だからと飼ったとしても、最後まで責任が取れないのなら飼うべきではありません。

私達家族がした行為は、小我の善意だったと思います。

私が一時の感情に負け、猫を拾ったせいで家族に迷惑をかけ、猫にも寂しい想いをさせたことになります。

縄張り争いをしたことのない飼い猫を捨てたのは罪なことです。

善意の行動を取る前に、自分の器を知っておかないと、善意をまっとうする事はできません。

事実を受け入れ、無理をしないのも大我です。

大我と小我の仕事の違い

あなたは、どんな気持ちで仕事をしていますか?

仕事にやり甲斐を感じている人の中には、「人の役に立ちたい」と願い仕事をしている方もおられるでしょう。

例えば、看護師さんや介護士さんなどは、直に人と関わり、やり甲斐を肌で感じられると思います。

看護や介護職でやり甲斐を感じるのは「ありがとう」という言葉を言われた時ではないでしょうか。

「ありがとう」と言われることを励みにするのは悪いことではありません。

一生懸命頑張っているのに、ありがとうの一言も言われないのは辛いことですから…

しかし、大我の視点では、感謝を求めて仕事をするのは間違いです。

「感謝されたいからやっている」では、見返りを求める愛になり、つまりそれは「小我」になります。

感謝されなかった時「これだけ尽くしているのに、ありがとうの一言もないなんて!」と腹を立てたり、空虚感で凹んでしまうのは、見返りを求めている小我です。

これは、どの仕事にも言えることです。

私の仕事は、人の悩みを聞き、気づきのアドバイスをするのが仕事です。

ご相談者様に、より良い人生を築いて頂きたいと願い、真剣にお答えしています。

お伝えした鑑定結果を読んで頂いた後、前向きな返事が来て感謝の言葉が書かれていたらは、やはり嬉しいです。

ですが、感情的な怒りの返事が来ることもあり、その都度凹み、仕事がキツく感じることもありました。

しかしそれは、見返りを求めている小我だと気がつきました。

私の一番の役割は、ご相談して下さった方の「悩み・不安の原因と対応策をしっかりとお伝えする事」です。

感謝されるためではなく、悩んでおられる方々が、自ら未来を切り開き幸せな人生を歩んでほしいと願い、この仕事をしなければなりません。

冷静に考えれば、鑑定内容を読んだからといって、すぐ整理するのは難しく、実際に経験をしなければ納得できないことばかりです。

反感や疑問を抱いて当然のこと。

大我を意識すれば、いつかわかって頂ける日が来たらいいなと、長い目で考えられるようになりました。

どの仕事にも言えることですが、感謝されることを目的とすれば、感謝されなかった時に辛さを感じます。

しかし、正しいことをしていると思えるなら、それだけで十分です。感謝されないからと、凹む必要はありません。

感謝されたい小我を捨て、人のためになろうと純粋に思うことが、大我の仕事だと思います。

小我な仕事は、感情に振り回されて疲れます。

大我な仕事なら、冷静で的確な仕事ができます。

大我と小我のマナー

新幹線を例にあげさせていただきます。

帰省ラッシュが起こる大型連休などは、新幹線の乗車率が100%を超え、自由席で座れない人も出てきます。

東京駅から乗ったあなたは座れたのですが、すでに自由席の乗車率は100%近くです。

品川駅に着くとさらに乗車率は増え、通路に立っている人も出てきました。

あなたの横には、杖をついたご老人が立っています。

あなたは、席を譲ることにしました。

席を譲る行為はとても素晴らしいので、大我な行為だと言えますが、大我か小我かの判断は、譲った人の心の中で決まります。

「他の人の目が気になり、ひどい人と思われたくないと感じたから…」という理由であれば、小我になります。

逆に、「ただ単に、しんどそうだったから譲った」と言うのであれば、それは大我です。

やっていることは正しくても、保身で行動すれば大我ではありません。

とは言え、見て見ぬ振りをするよりは全然良いですよね。

大我と小我の介護

自分を育ててくれた親だからと、両親の介護を引き受けなければならないと思う人は少なくありません。

色々な気持ちが交差して、介護を引き受けなければならない使命感を持つと思いますが、そこに迷いがあると苦痛に変わっていきます。

もしも、両親の目を気にしていたり、親族の目を気にしていたり、誰かの目を気にして引き受ける介護であれば、それは小我の善意になります。

自分の人生をかけて、介護する覚悟を持てるなら問題はありませんが、「自分の人生を生きたい」と思うのが心情ではないでしょうか。

「自分の人生を生きたい」と思うことに罪悪感を感じる人もいますが、それは決して悪いことではありません。

両親が病に倒れても、自分の人生は自分の人生として見ないと後悔します。

自分を大切にしない人が、誰かを大切にすることはできません。

例え親の介護であれ、闇雲に引き受けることが大我ではありません。

前述しましたように「大我は、自分の器を知ること」です。

できること・できないことを明確にして、「できることを全力で取り組む!」これが大我になります。

もしも、親の介護などで無理をしてでも、引き受けなければならないと思っている人がいるなら、考えて頂きたいのです。

無理をして介護をしてもみんなが幸せになれるでしょうか?

大我で物事を考えるのに、感情は必要ありません。

現実を冷静に見極め、無理のない行動するのが大我の善意です。

大我と小我のお金の貸し借り

大我と小我をお金の貸し借りで例えるとわかりやすいと思います。

知人に「一万円貸してほしい」とお願いされて一万円を貸したとします。

約束の期日を過ぎても一万円が返ってくる気配がありません。

問い詰めると「ボーナスまで待って!」と言われました。

すると、あなたはこう思うでしょう「借りたものは約束の日に返すのが当然だろ?」と…

確かにその通りですが、大我でお金を貸していれば、返ってこないことに腹を立てません。

腹を立てるのは小我で、そこには恩を着せる思いや、感謝されたい思いがあるのではないでしょうか。

大我であれば、貸したお金はあげたも同然、返ってこなくても腹を立てません。

返ってこなくて悶々としてしまうのは、感謝されたい小我な気持ちがあるからです。

大我は「貸す=あげる」になります。何の見返りも求めません。

もしも、お金を貸すことがあれば、あげる覚悟がなければ貸してはいけません。

見返りを求めずに貸せるのであれば、貸してあげると良いと思います。

ですが「見返りを求めないから貸す!」といっても、相手のためになるかどうかを考えなければなりません。

もしも、浪費グセのある人が「お金を貸してほしい」と言ってきたら考えればなりません。

お金を貸すことが、本当に知人のためになるのか?ということ…

身の丈以上の浪費グセがあるからお金に困るわけで、更生を願うのであれば、嫌われても貸さないのが大我です。

相手のことを想い、嫌われる覚悟で断るのは大我になります。

嫌われたくないから貸す、これは小我です。

ここまでの話をまとめると、大我とは自分中心で物事を考えないことで、他人を中心に物事を考えることになります。

大我は簡単に実践できるものではありません。

しかし、少しずつでも大我に目覚めていくことが、自分の幸せに繋がります。

人は本当に小我の塊ですが、少しでも大我に目覚めるために生きています。

少しでも大我に近づきましょう。

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