魂は永遠と知る本当の幸せ・魂の視点で見る人生とは?

私達は、霊的な存在であり、本来の姿は「魂」です。

肉体は、魂がはいる入れ物でしかありません。物やお金と同じで、形ある物はあの世に持って還れません。肉体もあの世には必要ありません。

肉体は、いつか滅びえ失くなりますが、肉体に宿っている「魂は永遠」です。肉体が滅んでも魂は滅びません。

永遠に生き続ける意識、それが魂です。

魂は永遠と知る本当の幸せ

本当の幸せとはなんなのか?

それを考えた時、裕福であったり、地位や名誉を得たり、健康で長生きをすることだと思うかもしれません。

確かに、お金があって名誉があって健康で長生きできたら幸せかもしれません。しかし、それはすべで物質的価値観による幸せで、いくらお金があって長生きをしても、やはり形あるものは無くなり、死が訪れすべて失います。

寿命にしても、必ずしも長生きをすることが幸せとは言えませんし、生きた長さよりもどれだけ濃密な人生を送れたかが大切です。

裕福で地位や名誉があるからといって、幸せとは限りません。それらはいつか、死と共に手放さなければならないものになるからです。

それらを守ろうとして失うことを恐れていたら、いくら恵まれていても恐怖心に翻弄されることになります。

本当の幸せとは何かを考えた時、スピリチュアルでは「失うことの恐れがないこと」と説かれています。

お金を失う恐怖
地位や名誉を失うことの恐怖
病気になるのではないかという恐怖
ひとりになってしまうのではないかという恐怖
人に嫌われたらどうしようという恐怖
死に対する恐怖

人は、様々な恐れを持っていますが、それらを手放し恐れのないことが本当の幸せとされています。

いくら恵まれても、恐怖や不安があれば「心からの幸せ」を手にすることはできません。

では、どうすれば「失う恐れを失くすことができるのか?」その方法についてお話をさせて頂きます。

本当の幸せは魂である自覚持つこと

恐れを失くすためには、「私達の本来の姿は魂である」という自覚を持つことです。

この世は、理不尽なことがたくさんあります。生まれた時から裕福な人や、生涯裕福になれない人、体が丈夫な人がいれば弱い人もいる。何人もの恋人と縁がある人もいれば、生涯恋人ができない人もいるでしょう。

しかし、魂が永遠ならば、現世が全てではないことがわかります。

お金に恵まれない人生だったとしても、来世は違うかもしれない。
現世が病弱なら、来世は健康かもしれない。
現世が独り身なら、来世は結婚をするかもしれません。

魂は永遠と知ることで、現世という狭い価値観に囚われることがなくなります。

また、この世の物はあの世に持って還れないので、すべて失うものばかりです。

現世で何を失ったとしても、現世が全てではない限り、何を失おうとも怖くありません。

生かされる幸せ

「人生」という経験ができるのは、生かされているからであり、私達が忘れてはならないのは「生かされていることへの感謝」です。

あの世では、この世のような感情の起伏の激しい経験はできません。

そのため、たくさんの経験と感動を得て魂を成長させるには、この世の荒波に揉まれることが手っ取り早いのです。

生きている意味を簡単に言えば、「生きている中で喜怒哀楽を経験すること」に意味があるのです。

どんな人生であれ、生かされていることに感謝をし、「今の自分にできることを精一杯する」ことが、実りのある人生を送ることになります。

現世が全てだと思うと「失敗は許されない、失敗したら終わりだ」と怖くなるかもしれません。

しかし、この世で経験することは、どんな失敗でも、どんな遠回りでも無駄ではありません。失敗や遠回りを経験する中に、必ず得るものがあるからです。

魂という長い歴史の中で、失敗も成功も経験して魂は成長していきます。

現世に捉われて悲観することでも、魂の長い歴史の中では全ての経験が良い経験です。

「現世が全てではない」このことを理解することで、また違った感性が生まれます。

魂の視点での幸せを考えましょう。

魂の幸せは物質ではない

私達は、「肉体」という物質を借りてこの世で生きていますが、私達自身は「魂」であり肉体も借り物、今持っている物質もこの世だけのもの。あの世に還るときには、手放さなければなりません。

ですので、幸せの価値を物質に求めても、真の幸せは手に入れられません。いくら物を手に入れても失うのですから。

魂の幸せは「物質的」なところには存在せず「心の中」に存在します。

人に与えたものと同じだけ、自分に返ってくる。人に思いやりや優しさを与えれば与えるほど、自分に返ってきます。

人に愛を与える、与えた愛が返ってくる。この繰り返しが、魂の幸せに繋がっていきます。

人の足を引っ張り自分がのし上がっても、魂の幸せとは程遠く、そんなものでは心が満たされません。その傲慢な心がいつまでも自分自身を苦しめるでしょう。そんなことでは、真の幸せは掴めません。

生まれてきた目的は様々かもしれませんが「与える愛と、与えられる愛を学ぶ」という意味では、どの魂も同じです。

私達は、沢山の経験と感動をあの世に持ち帰るために、この世を経験しています。

「経験」「感動」とは、喜怒哀楽の全てです。喜びもあれば、苦しみもある、苦しみを知るから優しさや愛が生まれ魂は成長します。喜怒哀楽の全てが大切な経験であり、この世の経験と感動が「あの世で財産」になります。

魂の幸せとは、多くの喜怒哀楽を経験することであり、楽しいだけの人生を送ることではありません。苦しい経験のほうが魂を成長させるので、魂としては苦しみのほうが宝なのです。

どんなことがあろうとも、生かされた命を投げ出すことなく生き抜くことは、私達の誰もが持っている使命です。決して自ら命を絶つことがないようにしてください。

生きる意味は、生きることに価値があるからです。「苦しい経験は宝」と思い、強く逞しく生きましょう。

人は死んでも魂は永遠

亡くなった方を見て、抜け殻だと感じた事はありませんか?

そんな風に見える私は非常識なのかもしれませんが、肉体は魂があっこそ生きているもので、魂が抜け出た後は人形のように見えてしまいます。

身近な方が亡くなると、死別の悲しみに暮れ、もう2度と会えないと感じるものですが、生きては会えないけども、私達もいずれあの世に還ります。それまでの別れです。

死別の悲しみはありますが、永遠の別れではありませんので、この世に生きている人は前を向いて歩いていかなければなりません。

もしも、亡くなった方に会いたい…と自殺するような事があれば、行く世界が違うので直ぐには再会できません。笑顔で再会する為には、残された寿命を全うする事が第一です。

死に目に寄り添えなかった事に、後悔している方もいらっしゃるでしょう。

肉親や愛する人が亡くなれば、あれもしてあげたかった、これもしてあげたかったと後悔の念が生まれます。

ご相談を受ける中でも、「素直にごめんと言えなかった」と後悔していらしたり、「親不孝な子供だったから、亡くなった親は自分の事を恨んでいる」とおっしゃったり「親不孝をして気苦労をかけたから、自分が殺したようなものだ…」とおっしゃる方もおられます。

そういった方からのご相談で亡くなった方と交信させて頂いた事もありますが、成仏されていれば生前の事を恨むような事はありません。

成仏された方は皆「後悔の念にとらわれずに生きてほしい」と伝えてきます。

あの世に還り成仏すると、すべてが明白になる為、生前であれば恨む事であっても、恨む事ではない事が明らかになります。

成仏すると、この世で起きる事すべてが魂の学びの為に起きている事だと知ります。どんなに理不尽な事でも、この世は、それを経験する為のものだったと分かるので恨む事はありません。

亡くなった方に酷い事をしたと自責の念にかられるのであれば、その教訓を活かしたり、人に伝えていく事に力を注ぐ事がお詫びであり、供養になるのではないでしょうか。

後悔するよりも、貴重な経験をさせてくれた事に感謝して、今後に活かしましょう。

魂、現世での学び

私達魂が現世に誕生する目的は、より大我(利己愛:人を愛すること)を学ぶためです。

真の大我に目覚めるために、何度も輪廻転生して魂を磨いています。

この世には、段階を踏んだ魂の成長過程があります。

誰もが赤ちゃんの時期を経て今の年齢になっておりますが、よくよく考えたら…わがままし放題でも許されるのは赤ちゃんの時期だけだと思いませんか?

私達は、まずこの世に誕生して、泣くことから始まりますが、赤ちゃんは泣いてわめいてやりたい放題です。

小我(利己愛:自分を愛する)から大我(利他愛:人を愛する)へと目覚めるために生まれてきて、生まれた時は完全な小我から始まります。

赤ちゃんは相手の都合など関係なく、お腹が減ったら泣き、オムツを替えてくれと泣き、眠たいと泣いて自分の感情を精一杯表現します。

赤ちゃんが親の顔色を伺って、忙しそうにしているからミルクを我慢しようとか、オムツを替えてほしいけど、親が寝ているから我慢しようとは考えません。

一生のうちで赤ちゃんの時期だけが、わがままし放題が許される時期ではないでしょうか。この時期があって、まず始めに「愛されること」を覚えます。

このように魂は、まずは「小我から始まり」、生涯をかけて「大我を目覚めさせる」ために試練を乗り越えていくのです。

最初の魂の学び舎が家族

こんな家庭に生まれたくなかったと思っていたとしても、家族はあなたが生まれる前に決めてきた「宿命」でできたご縁です。

家族は、魂の学びの最初のステージとも言えるのです。

家族間で起こる問題には、魂の成長に必要な要素が含まれています。それを踏まえて考えるなら、両親が嫌いだ、兄弟が嫌いだと、それだけで終わらせてはいけません。そこには必ず、あなたに必要な気づきが含まれているからです。

例えば、「母親や子供に偉そうな態度を取る父親が嫌いだ」と悩んでいらっしゃる方もおられます。

この場合は、「お父様のことを反面教師にしなさい」という意味が含まれております。横柄なお父様がいなければ、横柄な態度を取られることがどれほど嫌なことなのか、どれほど人に嫌われる愚かなことか、ピンとこないと思います。お父様の態度を身近で感じて、自分はどうあるべきかが課題になっています。

そして、その様なお父様と家族になったのは、自分の中にも似たようなところがあるから反面教師にしなさいとの気づきでもあるのです。

また、別のパターンですと、「母親が神経質で細かいことにガミガミうるさい」と敬遠している方もいらっしゃると思いますが、そのようなお母様の元に生まれてきたのも意味があります。

この場合も同じで「反面教師にすること」、そして自分の中にも似た一面があることを自覚して正していくことが課題になります。

両親の魂も未熟だからこの世に生まれてきています。この世に完璧な魂はありません。家族の中で切磋琢磨し、良いところを吸収し、悪いところを反面教師にすれば、魂の成長や人間性の向上になります。

「どうして自分よりも長く生きている親を尊敬できないのか」と疑問に思われる方もいらっしゃると思いますが、この世の年齢は両親が歳上でも、魂の年齢では子供の方が歳上ということもあります。

輪廻転生を繰り返した回数が多い魂ほど、この世を経験していますので魂は成熟しています。記憶が消されていても、魂の性質の違いで人格の違いがでます。

もしも、両親のことを幼い親だと感じているなら、それはもしかしたら、あなたの魂の方が成熟しているからかもしれません。

その場合「許す心」や「我慢する忍耐力」などが必要となります。

生まれて最初に関わる家族ですが、家族の中には「生きていく上で必要な学び」があり、土台をつくる場所でもあります。

他人と関わる前に、一番学んでおかなければならないことを家族の中で学びます。

家族と向き合うことは、自分と向き合うことにもなるので、魂の成長に大きな影響を与えます。

家族から学ぶ魂の課題とは?

両親や兄弟と、何の問題もなく過ごしてきた方は少ないでしょう。

血が繋がっていようがいまいが、家族は現世で最初の学び舎で、私達の人生の中で多く関ります。

笑うこともあれば怒ることもある、憎しみを持つこともあれば、思いやりを持つこともある。良くも悪くも、様々な感情が芽生えます。

近くにいるからそこ、他人には抱かない感情も抱きます。

家族に満足していようが、不満を抱いていようが、どんな家族であれ、その家族を選んだのは何を隠そうあなたです。

あなたは生まれる前に、現世の自分の課題をクリアするために、一番ふさわしい親や兄弟を選んで生まれています。

「親が子づくりしたから勝手に生まれてきた」訳ではありません。子づくりしている親めがけて、あなたが魂を宿したのです。

課題は人それぞれ、色々なケースがあります。

たとえば、両親に愛されることを課題にしているなら、愛情豊かな両親を選び、たくさん愛されて育っていくでしょう。

逆に、愛情のない両親を選び、愛を強く求めることで愛を学ぶというパターンもあります。

兄弟にしてもそうですが、兄弟なのに全然性格が違うこともあります。その場合は、自分にないものを兄弟から学んだり、兄弟の悪いところを見て我が振り直すことを課題としていたり、兄弟で同じスポーツをして競い合い、互いに高め合うことを課題としていることもあります。

両親や兄弟にしても全て共通して言えるのは、「何の意味もなく今の家族を選んでいない」ということです。

良いところは学び、悪いことろは反面教師にする。これは、誰にでも当てはまることです。

今一度、どうして今の家族を選んだのか考えると、気づくことがあるかもしれません。そこに、家族になった意味が隠されています。

この世の家族とあの世の家族は違う

私達が現世で家族としている親や兄弟も、あの世に還れば家族ではありません。

あの世には、魂の家族がいます。それをグループソウルと言います。

「現世の家族は魂でも家族だ」と考えるのが普通かと思いますが、この世の家族は自分の課題に適した家族を選んでいるだけで、魂の家族ではありません。

現世での家族は、互いに学び合うクラスメイトのようなもので、学校が終われば…、つまり死後はそれぞれの魂の家に帰ります。

私達は、この世に修行の旅に来ているだけで、本来の居場所はあの世になります。魂の視点から考えると、現世の家族は本当の家族ではなく「他人」なのです。

私達は、生まれる時に魂の記憶は消されます。それもまた、学びだからです。そうしないと生まれた時から他人行儀になり家族関係を学ぶことができません。

私達が大人になった時「家族でも頼ってはいけない」と思えるかどうか、魂が成長できたかを試されているのです。

本当は、してくれなくて当然なのです。魂の視点では他人なのですから…してくれないと不満が出るのは、甘えているからです。

魂の視点での子育てとは?

親が子供を育てるのは当然になっていますが、これは本当に素晴らしい魂のボランティアです。

現世で親子でも魂の視点では赤の他人です。他人の子に愛情をかけて育てるのは「無償の愛」がないとできません。

魂の視点を踏まえると「当然でしょ!」「産んだんだから責任持って育てなさいよ」なんて、子供が胸を張って言うことではないことがわかります。

むしろ「育ててくれるだけでありがたい」と謙虚さが芽生えるのではないでしょうか。

自分の身を削ってまで育ててくれる親は、本当にありがたいものなのです。

この話が腑に落ちれば、兄弟と比べられて育ち、不自由な思いをしてきたとしても「ここまで育ててくれただけでも感謝」と思えるようになるのではないでしょうか。

魂の視点では、この世の家族は他人の集まり。両親も兄弟も他人であると認識すれば、憎しみや恨みは、甘えであることに気づくことができます。

家族への憎しみや恨みは甘えであることを自覚し、育ててくれた家族に依存せず、新しい道を探すことで家族への憎しみも減らせるのではないでしょうか。

家族であれ、本当は他人です。家族に甘えず、自力で自分のこと人生を切り開きましょう。

魂の視点での友達

赤ちゃんの時期は、家族や親族としか関わりを持たなかった子でも、そのうち友達ができるようになります。

しかし、両親に接しているのと同じようにしていては、友達を怒らせてしまったり、ケンカをしてしまうこともあります。

また、酷いことを言われて傷ついたり、意地悪をされて傷ついたり、喜怒哀楽のなかで人間関係を学んでいきます。

家族で学べなかったことを友達との関係で学ぶことができます。

友達の気持ちを優先して、我慢しなければいけない事もあるでしょう。そうやって、魂は少しずつ大我を学んでます。

恋愛も魂の成長に必要なこと

魂は、友達として関係を学ぶ中で、ある程度の年齢になると恋愛の学びをします。

恋愛は、友達関係のように簡単ではありません。

好きになった相手とお付き合いする為に試行錯誤を繰り返したり、フラれて傷つくこともあるでしょう。

私もありましたが、フラれた時はこの世の終わりのようにショックで、ご飯も食べられなくなったものです。

お付き合いしたら楽しい事ばっかりだと思っていたら、思いもしない相手の言動に深く傷ついたり、はじめはラブラブだったのに、そのうちケンカばかりするようになって別れてしまったり…

「これだけしてあげたのに!してくれなかった!」とガッカリして、小我に気づくこともあるてしょう。

逆に相手のためを思い、見返りを求めず自分を犠牲にしてまで、何かをしてあげるという大我も目覚めます。

恋愛は、人を好きになる気持ちに翻弄され、深い喜怒哀楽を経験する魂の学びに欠かせないものです。

恋愛は感性を磨くものと言いますが、まさにその通りです。魂を磨くのにとても有効な手段だと思います。

魂の視点では失恋も必要な過程と分かる

失恋は辛いですが、魂にとって必要な経験です。

運命の赤い糸で結ばれていると思っている相手と結ばれなかったら…その事を卑下するあまり、生きる気力すら失ってしまうことがあります。

誰にでも一度や二度、このような失恋の経験があるでしょう。

しかし、これも人生は現世のみと考えるから「運命の人だと思っていた相手と結ばれないのなら、生きていても仕方がない…」という結論に至るのです。

魂が永遠であることを知れば、ひとつの失恋に捉われることもなくなります。失う恐れを失くすことができるのです。

なぜなら、運命の人だと思っていた相手と出会ったことは、失恋を経験して成長するための学びの場合や、来世で結ばれるために必要な前振りだった可能性があるからです。

私達は、現世だけに捉われるから苦しくなるのです。現世で出会う人達も、過去世で何かしら縁のあった人達です。その何かしらの縁があった魂と、現世でも何かしらの縁ができるのです。

魂は永遠と知れば、ひとつの出会いに執着することはありません。

運命の人だと思っていた相手と結ばれないことも、それが魂の歴史の中で自然なことだと納得ができるのです。

魂という長い歴史の中では、全てが繋がっています。

社会も魂の修行の場

社会人になると、大変な経験がたくさんあります。

社会に出る前は、友人、クラスメイト、恋人など、関わりたくなければ関わらないでも許されました。

しかし、社会に出るとそうはいきません。同僚が嫌いだから関わらない、上司が嫌いだから関わらない、そういった自分の都合は通用しません。ここに、魂の学びがあります。

仕事はお金を貰うところ、楽しんでできればそれに越したことはありませんが、なかなかそうはいきません。

社会という荒波にもまれ、理不尽に思うこともあるでしょう。我慢がしいたげられることもたくさんあります。

不平不満を持ちながらも、やらなければいけないこと、関わらなければいけない人など、順風満帆ではありません。

しかし、お金をもらう以上は嫌なことがあっても、仕事するのが勤めている限りは使命です。それが、社会に出て仕事をするということです。

社会に出て荒波にもまれることは、たくさんの喜怒哀楽で魂を磨くことになります。

魂の視点では失敗も必要

仕事にしてもそうですが、どうして自分は出世できないのか、どうして結果が出せないのかと悩んでおられる方は大勢います。

失敗ばかりをして、後から入って来た人に追い越されて、悔しい思いをしている人も多いのではないでしょうか。

仕事ではよく「結果が全てだ!」という言葉を耳にしますが、魂の視点ではそうではありません。

失敗したことに対して、何がいけなかったのか?どうやって改善していくのか?そういったことを考える過程に意味があります。

また、失敗を経験することにも意味があり、失敗を経験することも大切であり、成功だけが魂の成功ではありません。

現世で得た失敗の教訓は、来世で活かしていくことになるのです。

「結果を出すのこと」に意味があるのではなく、「失敗も成功も経験すること」に意味があるのです。

結婚から学ぶ魂

結婚は、育った環境が違う他人との生活になるので、ここにも魂の学びがあります。

結婚は恋愛と違って、一緒にいる時間が長いせいか、お互いの「我」がでます。しかし、自分の我を通すだけでは、直ぐにケンカや溝ができてしまいます。

相手と折り合いのつくところで、我慢をしなければならないことろが必ず出てきます。そして、相手を思いやる「大我」を持たなければうまくいきません。

「男女の愛は永遠には続かない」とスピリチュアルでも言われており、「恋愛」から「家族愛」へと移り変わることを意味しています。

家族愛に移行されてもなお、自分の価値観と相手の価値観を合わせ、どれだけ理解を深めていくのかが、夫婦愛の鍵となります。

子供ができれば子供への「大我」を学び、介護をすることになれば「与える愛」を学ぶという具合に、家庭を支える立場としての家族にもたくさんの学びがあります。

魂は一生を通じて様々な経験をし、時に道がそれてしまうこともありますが、それも魂が大我に近づく過程で必要なことだからです。

良いことも悪いこともありがたい学びであり、魂を磨くための経験であることに違いありません。

そう思えば、どんな経験にも無駄はないのです。

結婚は肉体と魂を別で考える

私達は今、物質社会で生きていますので、人を見るにしても容姿などに目がいきがちですが、相手の本質、魂を見る事が幸せな結婚をする事に繋がります。

いくら容姿が完璧でも、性格が合わなければ別れてしまいます。芸能人の方を見ておりますと、超イケメンや絶世の美女と結婚をしても別れるご夫婦が後を絶ちません。幸せな結婚には、性格が重要という事を証明してくださっています。

肉体と魂を別で考えるという意味では、恋愛対象が異性の方よりもバイセクシャルの方のほうが、魂を主体としている傾向が強いのかもしれません。

バイセクシャルとは
"両性愛の事で、男性女性いずれの性に対しても性的な魅力を感じる性的指向を持つ人の事です。"

以前、バイセクシャルの女性が、お付き合いしていた男性と別れ、女性とお付き合いを始められた頃「好きになるのに性別は関係ありません。魂を好きになりました。」とおっしゃっておりました。

そういった意味ではバイセクシャルの方は、性別を飛び越えて相手の本質を見ているのだなぁと思います。

性別はこの世のもので、輪廻転生する中で変わります。魂に性別はないので、魂を主体として考えるならおっしゃる通りだと思います。

結婚相手を探すなら、相手の本質、魂を見る事が幸せな結婚へ繋がるのだと思います。

魂を知らない無知が罪を犯す

私達は、人間である前に魂であることを知ることで、この世で起こる様々な出来事を受け入れることができるようになります。

罪を犯してしまう人は、魂の視点を知らない無知が原因であることもわかります。

成熟した魂なら、魂の視点は自然と身についているもので、幼い魂のような我欲に溺れた罪は犯さないでしょう。

生きていく中で、現世だけが全てと捉えて生きることは、あれやこれやと様々なことに執着してしまうことになり、苦悩を生みます。

自分可愛さ、自分の欲を満たすために罪を犯してしまう人達は、現世が全てだと思っているのではないでしょうか。

魂は永遠で、前世も現世も来世も繋がっていると知れば、そんな無責任なことはできなくなります。

今自分が犯している罪が、今度は自分に返ってくると思いながら罪を犯す人はいません。皆、バレなければいい、今さえ良ければいいと思い罪を犯します。

しかし、そうはいかないのです。この世には、因果応報という力が働きます。魂が永遠である限り、やったことは現世ではなくても来世に必ず返ってきます。

魂が永遠であることを自覚することは、正しく生きるための指針になります。

人は、何度も生まれ変わる中でいろいろな経験をしています。現世で経験したことがないことでも、その気持ちがわかるということがありますが、それは過去世に似たような経験をしているからです。

そういった魂の記憶があるからこそ、困った人を見たら支え合おうとしたり、寄り添おうという優しさが湧いてきます。

魂を知ることは、自分さえ良ければいいという利己愛(自分を愛すること)を捨て、利他愛(人を愛すること)で生きることにも繋がります。

成熟した魂とは

成熟した魂とは、依存や執着をしない「理性的な魂」のことだと思います。

成熟した魂になるために、私達に与えられた現世の時間は短いものです。

あなたは何歳まで生きる自信がありますか?80歳まで生きる自信のある方はおられるかもしれませんが、100歳までとなればなかなか、難しいのではないでしょうか。

100歳まで生きれば長寿ですが、それでも魂を成熟させるためには時間が足りません。

魂からすれば、たったの100年です。

魂を成長させ、短い人生を濃密に生きるために必要なことは、常に「内観」することです。自分と向き合わなれければ、成長はありません。

内観は、人生がうまくいっている時も、停滞している時も、常に自分を客観的に見る目が必要です。

この世は、理不尽なことだらけですが、どんなに理不尽なことでも、そこには「あなたを成長させるための学び」があります。

その時、自分の何がいけなかったのだろうか…と考え分析することができた人には、迷路から抜け出すヒントに気づくことができます。これが、内観の素晴らしいところです。

ある程度の年齢になると、スピリチュアルを学ばなくても波長の法則や因果の法則があるとこに気づくと思います。

それに気づいて、丁寧に人生を生きている人は、スピリチュアルを学んでいなくてもスピリチュアルを実践されている方です。

人生は自己責任と捉え、依存心を捨て自立心を持てば苦難にも立ち向かうことができます。

成熟した魂になれるように、短い人生を精一杯生きましょう。

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