魂は永遠と知る本当の幸せ・魂が望む幸せと人が望む幸せは違う

私達は、霊的な存在であり、本来の姿は「魂」です。

肉体は、魂がはいる入れ物でしかありません。物やお金と同じで、形ある物はあの世に持って還れません。肉体もあの世には必要ありません。

肉体は、いつか滅びえ失くなりますが、肉体に宿っている「魂は永遠」です。

肉体が滅んでも魂は滅びません。

永遠に生き続ける意識、それが魂です。

魂は永遠と知る本当の幸せ

本当の幸せとはなんなのか?

それを考えた時、裕福であったり、地位や名誉を得たり、健康で長生きをすることだと思うかもしれません。

確かに、お金があって名誉があって健康で長生きできたら幸せかもしれません。しかし、それはすべで物質的価値観による幸せで、いくらお金があって長生きをしても、やはり形あるものは無くなり、死が訪れすべて失います。

寿命にしても、必ずしも長生きをすることが幸せとは言えませんし、生きた長さよりもどれだけ濃密な人生を送れたかが大切です。

裕福で地位や名誉があるからといって、幸せとは限りません。それらはいつか、死と共に手放さなければならないものになるからです。

それらを守ろうとして失うことを恐れていたら、いくら恵まれていても恐怖心に翻弄されることになります。

本当の幸せとは何かを考えた時、スピリチュアルでは「失うことの恐れがないこと」と説かれています。

お金を失う恐怖
地位や名誉を失うことの恐怖
病気になるのではないかという恐怖
ひとりになってしまうのではないかという恐怖
人に嫌われたらどうしようという恐怖
死に対する恐怖

人は、様々な恐れを持っていますが、それらを手放し恐れのないことが本当の幸せとされています。

いくら恵まれても、恐怖や不安があれば「心からの幸せ」を手にすることはできません。

では、どうすれば「失う恐れを失くすことができるのか?」その方法についてお話をさせて頂きます。

本当の幸せは魂である自覚持つこと

恐れを失くすためには、「私達の本来の姿は魂である」という自覚を持つことです。

この世は、理不尽なことがたくさんあります。生まれた時から裕福な人や、生涯裕福になれない人、体が丈夫な人がいれば弱い人もいる。何人もの恋人と縁がある人もいれば、生涯恋人ができない人もいるでしょう。

しかし、魂が永遠ならば、現世が全てではないことがわかります。

お金に恵まれない人生だったとしても、来世は違うかもしれない。
現世が病弱なら、来世は健康かもしれない。
現世が独り身なら、来世は結婚をするかもしれません。

魂は永遠と知ることで、現世という狭い価値観に囚われることがなくなります。

また、この世の物はあの世に持って還れないので、すべて失うものばかりです。

現世で何を失ったとしても、現世が全てではない限り、何を失おうとも怖くありません。

生かされる幸せ

「人生」という経験ができるのは、生かされているからであり、私達が忘れてはならないのは「生かされていることへの感謝」です。

あの世では、この世のような感情の起伏の激しい経験はできません。

そのため、たくさんの経験と感動を得て魂を成長させるには、この世の荒波に揉まれることが手っ取り早いのです。

生きている意味を簡単に言えば、「生きている中で喜怒哀楽を経験すること」に意味があるのです。

どんな人生であれ、生かされていることに感謝をし、「今の自分にできることを精一杯する」ことが、実りのある人生を送ることになります。

現世が全てだと思うと「失敗は許されない、失敗したら終わりだ」と怖くなるかもしれません。

しかし、この世で経験することは、どんな失敗でも、どんな遠回りでも無駄ではありません。失敗や遠回りを経験する中に、必ず得るものがあるからです。

魂という長い歴史の中で、失敗も成功も経験して魂は成長していきます。

現世に捉われて悲観することでも、魂の長い歴史の中では全ての経験が良い経験です。

「現世が全てではない」このことを理解することで、また違った感性が生まれます。

魂の視点での幸せを考えましょう。

魂の幸せは物質ではない

私達は、「肉体」という物質を借りてこの世で生きていますが、私達自身は「魂」であり肉体も借り物、今持っている物質もこの世だけのもの。あの世に還るときには、手放さなければなりません。

ですので、幸せの価値を物質に求めても、真の幸せは手に入れられません。いくら物を手に入れても失うのですから。

魂の幸せは「物質的」なところには存在せず「心の中」に存在します。

人に与えたものと同じだけ、自分に返ってくる。人に思いやりや優しさを与えれば与えるほど、自分に返ってきます。

人に愛を与える、与えた愛が返ってくる。この繰り返しが、魂の幸せに繋がっていきます。

人の足を引っ張り自分がのし上がっても、魂の幸せとは程遠く、そんなものでは心が満たされません。その傲慢な心がいつまでも自分自身を苦しめるでしょう。そんなことでは、真の幸せは掴めません。

生まれてきた目的は様々かもしれませんが「与える愛と、与えられる愛を学ぶ」という意味では、どの魂も同じです。

私達は、沢山の経験と感動をあの世に持ち帰るために、この世を経験しています。

「経験」「感動」とは、喜怒哀楽の全てです。喜びもあれば、苦しみもある、苦しみを知るから優しさや愛が生まれ魂は成長します。喜怒哀楽の全てが大切な経験であり、この世の経験と感動が「あの世で財産」になります。

魂の幸せとは、多くの喜怒哀楽を経験することであり、楽しいだけの人生を送ることではありません。苦しい経験のほうが魂を成長させるので、魂としては苦しみのほうが宝なのです。

どんなことがあろうとも、生かされた命を投げ出すことなく生き抜くことは、私達の誰もが持っている使命です。決して自ら命を絶つことがないようにしてください。

生きる意味は、生きることに価値があるからです。「苦しい経験は宝」と思い、強く逞しく生きましょう。

人は死んでも魂は永遠

亡くなった方を見て、抜け殻だと感じた事はありませんか?

そんな風に見える私は非常識なのかもしれませんが、肉体は魂があっこそ生きているもので、魂が抜け出た後は人形のように見えてしまいます。

身近な方が亡くなると、死別の悲しみに暮れ、もう2度と会えないと感じるものですが、生きては会えないけども、私達もいずれあの世に還ります。それまでの別れです。

死別の悲しみはありますが、永遠の別れではありませんので、この世に生きている人は前を向いて歩いていかなければなりません。

もしも、亡くなった方に会いたい…と自殺するような事があれば、行く世界が違うので直ぐには再会できません。笑顔で再会する為には、残された寿命を全うする事が第一です。

死に目に寄り添えなかった事に、後悔している方もいらっしゃるでしょう。

肉親や愛する人が亡くなれば、あれもしてあげたかった、これもしてあげたかったと後悔の念が生まれます。

ご相談を受ける中でも、「素直にごめんと言えなかった」と後悔していらしたり、「親不孝な子供だったから、亡くなった親は自分の事を恨んでいる」とおっしゃったり「親不孝をして気苦労をかけたから、自分が殺したようなものだ…」とおっしゃる方もおられます。

そういった方からのご相談で亡くなった方と交信させて頂いた事もありますが、成仏されていれば生前の事を恨むような事はありません。

成仏された方は皆「後悔の念にとらわれずに生きてほしい」と伝えてきます。

あの世に還り成仏すると、すべてが明白になる為、生前であれば恨む事であっても、恨む事ではない事が明らかになります。

成仏すると、この世で起きる事すべてが魂の学びの為に起きている事だと知ります。どんなに理不尽な事でも、この世は、それを経験する為のものだったと分かるので恨む事はありません。

亡くなった方に酷い事をしたと自責の念にかられるのであれば、その教訓を活かしたり、人に伝えていく事に力を注ぐ事がお詫びであり、供養になるのではないでしょうか。

後悔するよりも、貴重な経験をさせてくれた事に感謝して、今後に活かしましょう。

魂から見た寿命は一瞬

私たちは、魂を成長させるために、生まれてきますが、成熟した魂になるために、与えられた現世の時間は短いものです。

あなたは何歳まで生きる自信がありますか?

80歳まで生きる自信のある方はいらっしゃるかもしれませんが、100歳までとなればなかなか、難しいのではないでしょうか。

100歳まで生きれば長寿ですが、それでも魂を成熟させるためには時間が足りません。

魂からすれば、たったの100年です。

魂を成長させ、短い人生を濃密に生きるために必要なことは、常に「内観」することです。自分と向き合わなれければ、成長はありません。

内観は、人生がうまくいっている時も、停滞している時も、常に自分を客観的に見る目が必要です。

この世は、理不尽なことだらけですが、どんなに理不尽なことでも、そこには「あなたを成長させるための学び」があります。

その時、自分の何がいけなかったのだろうか…と考え分析することができた人には、迷路から抜け出すヒントに気づくことができます。これが、内観の素晴らしいところです。

ある程度の年齢になると、スピリチュアルを学ばなくても波長の法則や因果の法則があるとこに気づくと思います。

それに気づいて、丁寧に人生を生きている人は、スピリチュアルを学んでいなくてもスピリチュアルを実践されている方です。

人生は自己責任と捉え、依存心を捨て自立心を持てば苦難にも立ち向かうことができます。

成熟した魂になれるように、短い人生を精一杯生きましょう。