人生には必ず、嫌な事、理不尽な事が起こり、酷いことをされたら当然「憎しみ」が生まれます。
憎しみは、感情の部分であり反射的に湧き上がりますが、その感情をいつまでも持ち続ける事は、良い事ではありません。
筆者自身、自殺を考えさせられるほど追い詰められた経験があり、心底人を憎んだこともあります。
そんな私でも、憎しみを消すことができました。
この記事では、憎しみを消すための考え方についてお話をさせて頂きます。
記事の内容:目次
憎しみを消す方法
憎しみを消すには、その出来事を忘れればいい。
それができたら苦労しませんし、湧き上がる憎悪に悩んだりしません。
ではどうすれば憎しみが消えるのでしょう。
無理に憎しみを消そうとする必要はありません。
無理に憎しみを消そうとすれば、憎しみを消せない自分に自己嫌悪になります。
憎しみは消すのではなく、憎しみを持つほどの経験をした意味を理解すれば消えていきます。
その意味について、説明させていたできます。
憎しみを持ち続ける不幸を知る
まずは、憎しみを持ち続けること自体が不幸の始まりと知ることです。
憎しみを持ち続けること自体が不幸?なぜ?と思うかもしれません。
どういう事かというと、憎しみという感情にも因果応報が働きます。
因果応報とは、やったことが返ってくる法則のことですが、行動に移したことだけが返ってくるのではなく、想いにも反映します。
ということは、憎しみを持ち続けた刃はいつか自分に形となって返ってきます。
「あんな奴死んでしまえ!」という攻撃的な感情は、何らかの形で自分に返ってきます。
誰かを恨む憎しみは、諸刃の剣と同じです。
精神のバランスを崩し、心身ともに悪影響を及ぼしたり、違う誰かからまた傷つけられたりします。そうやって形を変えてでも必ず自分に返ってきます。
殺したいほど憎んでいたとしても、その思いは愚かです。
嫌な事をされたからといって、相手と同じ土俵に立てば同じ穴のムジナ…
憎しみを持ち続けた感情が、負のエネルギーとなって自分に返ってきます。
ですので、憎しみを持ち続けること自体、不幸の始まりだと認識することが第一歩です。
傷つけられたことを財産と考え憎しみを消す
人から傷つけられて喜ぶ人は、Mっけの強い人くらいですよね。
なのに傷つけられたことを財産と考えるなど無理がある。と思うでしょうが、無理ではありません。
傷つけられたことを財産と考えるには、傷つけられたことで人は成長していることを知る必要があります。
あなたは誰かに傷つけられたから、傷つけられる痛みが分かるようになったのではないでしょうか?
もしも、傷つけられる痛みが分からなければ、平気で人を傷つける人間になります。
人を平気で傷つけられる人は、傷つけられる痛みを知らない未熟な人です。
スピリチュアルな話になりますが、人はなぜ生まれてくるのか?それはこの世で「愛を学ぶ」ためです。
愛を学ぶためには、傷つけられる痛みを知る過程が必要になります。
傷つけられる痛みを知らない人は傲慢になり、人を愛すことができません。
傷つけられる経験は、傷つけられる痛みを知り、優しさを備える為のものです。
特に、自分さえ良ければいいと考える人は傷つけられる事も必要で、傷つけられて人を思いやる大切さに気づきます。
傷つかない人生に成長はありません。
傷つけられ、思いやる大切さを知ったのなら、その経験はお金では買えない財産です。
また、あなたを傷つけた人は、自ら負のカルマを背負い気づきを与えてくれた人になります。
あなたを傷つけた人にはそれ相応の未来が待っているので、自分の身を犠牲にして教えてくれた人になります。
考え方を少し変えるだけで、いつか「私を傷つけてくれたおかげで、私は成長する事ができました。」と思う日が来ます。その日が来れば、あなたの心も救われます。
「傷つけられた…」と、ただ泣きたくなりますが、傷つけられる本当の意味は「痛みを知る事」にあります。
傷つけてくれた人がいるから、あなたは成長しました。
ですので、憎しみを持つことはありません。
辛い経験は自分のためと思い憎しみを消す
辛い経験であれ、悲観的にしか捉えられないなら平穏な日々はまだ先です。
憎しみという感情に囚われてないで、辛い経験になんの意味があるのか考えてみましょう。
憎しみを持つほどの辛い経験があったからこそ分かったこと、成長するきっかけになったこと、必ず何かしら成長させられた部分があるはずです。何もないなら、辛い経験を与えられません。
この世の経験には、必ず意味があります。辛い経験から学ぶこと、気づくこと、マイナス要素しかないように思えても、プラスの要素が必ず隠されています。今はプラスに思えなくても、捉え方を変えれば、数年後にはプラスになったと思えるようになります。
辛い経験を今後の人生に役立たせるか、憎しみを持ち続けて腐っていくのか、考え方ひとつで人生が大きく変わります。
人を憎む出来事から気づきを得て、起きた出来事を憎むよりも、成長した自分に目を向けましょう。
人は皆未熟で当然と思えば憎しみも減る
この世を生きる人の中に、生涯誰も傷つけずに人生を終える人などいません。
人は未熟だから生まれてくるので、人を傷つけない完璧な人は生まれてきません。
この事を理解すれば、自分も人を傷つけただろうし、傷つけられる事があっても当然だと考えることができます。
これもスピリチュアル的な話になりますが、人が生まれてくるのは魂を成長させるためです。
魂の成長には「心の痛み」が大きな栄養となります。
この世は傷つけ、傷つけられ、お互いに切磋琢磨できるので、魂の成長の場所に適しています。
人は未熟だから生まれてきます。逆を言えば、人を傷つけない人は生まれてきません。
未熟な人が集まるのがこの世、傷つくことも当たり前、そう思えば少しは憎しみが鎮まりませんか?
こんな私でも憎しみを消せた体験談
以前、筆者に恐怖と絶望を与え生き地獄へ突き落としてくれた人達がいました。
私はブラック企業で何年もの間、暴行を受け恐喝され奴隷のように扱われボロボロになりました。
その結果色々なものを失いました。
当時の私は、人生を狂わせたその人達を殺してやりたいくらいに恨みました。
しかし殺す勇気を持てなっかたことが功を奏し、何もしないまま5年の月日が流れました。
殺してやりたいほど憎んでいたにも関わらず、今は全く憎んでいません。
いつしかあの頃の悪夢に対して見方を変えられるようになったため、憎まなくなりました。
憎しみを乗り越えた先にあるもの
私を地獄に突き落とした人達を訴え、慰謝料を手にすれば懐は暖かくなります。
しかし、訴えられた人達はまた何かの形でやり返すことを考えます。
人生を台無しにされて復讐しないのは馬鹿だと言う人もいますが、私はそれで良かったと思っています。
なぜかというと、復讐しなかったおかげで完全に縁が切れ、幸せへ向かうことができたからです。
綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、私を暴行して恐喝した人達に対して、多くの人が経験しない貴重な経験をさせてもらったと思えるようになりました。
自分が耐えられる限界まで追い詰められる経験をしたことで、人の本質を見抜く力が芽生えました。
生き地獄のような経験には人を成長させる力があります。
あの経験がなければ今の私はおりません。そう心から思えるようになったので、感謝できるようになりました。
今だからわかることですが、私は自殺を考えるまで追い込まれないと成長できなかったのだと思います。
私をここまで追い込んでくれたから、成長できたのは事実です。
私は成長できましたが、私を追い込んだ人達には因果応報として辛い経験が待っています。自身の未来を潰してまで、私を成長させてくれたことを、有難いと思えるようになりました。
どんなに憎い相手と出会ったとしても、、双方に学びがあるから出会ったご縁になります。
憎しみを消しには、殺したいほど憎い相手と出会い、何を学び、どんな成長があったのかを知ると克服できます。
憎しみは、恨み続けるためのものではなく「成長のため」にあることを知り、憎しみから卒業しましょう。
最後に、私を追い込んだブラック企業は今は潰れてありません。
きっと苦労していることでしょう。これが因果応報です。
人を憎むよりも許すこと、これが幸せになる方法です。
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