グループソウル(類魂)とは?誰もが魂の家族の代表者

グループソウルとは、この世の家族とは別の「霊界にある魂の家族」のことで、私達の本当の家族です。

また、グループソウルを類魂とも呼びますが、意味は同じです。

誰もがグループソウル(類魂)の代表者としてこの世に誕生しています。

この記事では、魂の家族であるグループソウルについて詳しく説明させて頂きます。

グループソウルとは?

私達は、輪廻転生を繰り返して魂を成熟させていきます。輪廻転生の繰り返した回数が多い魂ほど、魂の年齢が高いということになります。

魂の年齢が高くなり魂が成熟してくると、本当の意味で愛を持つ人格者へと成長していきます。

現世、とても素晴らしい人格者で成熟した魂であっても、過去世をたどれば、未熟な魂と同じことをしていた時代があります。

未熟な魂を一言で表すなら、人の気持ちをわからずに、自分本位で生きる魂のことです。

自分の利益のために、人を騙したり、苦しめたり、蹴落としたり、殺めたり…そういった魂は、魂年齢が幼くまだまだ未熟な魂と言えます。

どんなに成熟した魂であれ、この世に生まれてきているのは未熟な部分があるからで、未熟な魂も成熟した魂も、魂の成長のために生まれてきています。

どんなに未熟な魂も成熟した魂も、スピリチュアルの視点では、赤の他人とは言えないという話をこれからさせて頂きます。

グループソウル・類魂

グループソウルをわかりやすく説明するために、スピリチュアルではコップの水に例えられます。

コップに入った水をイメージしてください。コップの中の水一滴一滴がグループソウルです。

私達は霊界にたどりついたあと、このコップの中の水にとけ込みます。

グループソウルは、これまで魂が輪廻転生を繰り返してきた記憶が残る叡智(えいち)の宝庫です。

私達が、現世で経験した記憶も喜怒哀楽も、このコップの中の水にとけ込み、それが叡智となります。

現世で経験した喜怒哀楽は、コップの中の水を綺麗にします。コップの中の濁りを無くすために、私達は生まれてきます。

私達が現世で経験する喜怒哀楽は、水を少しずつ透明にする力があり、何度も何度も輪廻転生を繰り返して水を透明にしています。

なぜ水が濁るのか?

水を濁す原因となるのが、グループソウルの未熟な部分です。

その未熟な部分を無くすために、私達は現世で大我(無償の愛)を学んでいます。

私達は、グループソウルから飛び出した濁りのある水滴です。

と言うことは、誰もがグループソウルの未熟な部分を背負って生まれてきているため、未熟ではない人はこの世に存在しません。

私達は未熟者であって当然です。

私達は皆、神の未熟な部分から生まれた未熟な魂。

神の未熟な部分がグループソウルとなり、私達「個」の魂になります。

果てしなく長い年月を経てグループソウルを完全に浄化し、また神と融合します。

私達が、この世に生まれる目的は皆同じ、グループソウルを完全に浄化し、いずれ神と同化する為です。

皆、出所は同じですから、魂に赤の他人という概念はありません。

広い意味でグループソウルを捉えるなら、世の中の人全てが自分であり、神もまた自分です。

成熟した魂も、幼い魂も、この世界で関わり、切磋琢磨している自分です。

スピリチュアルの世界では、私達も神の一部であり、どんなに凶悪な人であれ、悪魔であれ、神の一部と考えます。

そう考えると、魂の視点でもこの世の視点でも、自分以外の者を赤の他人とは言えません。

グループソウルの濁りを無くすため生まれてきた

前述したように、私達が生まれてきた意味は、グループソウルの濁りを無くすためです。

未熟な部分を背負って生まれ、未熟な部分を無くしていくために生まれます。

霊界は天国、霊界の記憶があると霊界に戻りたくなります。そのため私達は、霊界の記憶を消されてこの世に生まれています。

未熟な自分を向上させるためには、未熟者であることに気づくことが必須となります。

つまりこの世では、未熟さを痛感させられる経験をしていくことになります。

グループソウルでは、どの魂も自分だと認識していますが、現世は肉体をまとい、自分と他人を別の存在と区別します。

そのため、自分という個にとらわれることになります。

自分の欲望、快楽を満たすために愛を見失います。

恋愛、結婚、人間関係、仕事、家族、お金、肉体、精神などを通じて、様々な角度から自分の未熟さを痛感させられます。

もしも、自分の未熟さや愚かさを感じたことがない人がいるとすれば、それはまだ、未熟さに気づくための経験をしている途中だからです。

この世は、自分の弱さを炙り出す材料が揃っています。だから未熟さに気づき、正すことができます。

気づきの早さは人それぞれですが、自分の未熟さや愚かさを受け入れ、正す道を選ぶことで人生が好転していきます。

自分の未熟さに気づき、それを受け入れ、健全な心を手に入れることを目指していれば間違いありません。

未熟さを痛感するためには、辛いことや苦しいことや不測の事態を経験させられます。

しかし、この世はそういうところだと知っていれば、様々な出来事も受け入れられるようになります。

私達は、グループソウルにたくさんの喜怒哀楽を持ち帰ることが使命であり、どんな経験も叡智となります。

良くも悪くもたくさんの経験をしましょう。

すべての人がグループソウル

世の中の人全てが「グループソウル」という概念があるなら、人が人を裁く行為も、自分で自分を裁いている行為になるのです。

罪を犯した人を自分とは別者として裁く事は、スピリチュアル的にはおかしな話です。

罪を犯した人を世の中から排除すればいいと考えるのは、この世では当たり前の感覚に思えますが、その感覚というのは利己的な考え方で小我になります。

本当にやらなければならないのは、罪を犯した人に罰を与えるよりも、その人の魂が自分の犯した罪の重さに気づき、深く反省して二度と同じ過ちを犯さないと誓えるまで愛を与えること。

罰ではなく、気づきを与えることが、本当の意味での魂の成長となります。

「人を殺めた人は死ねばいい」と思うかもしれません。

しかし、反省することなく死刑になれば、自分のしたことを悔やむ時間がありません。

被害者ご遺族のことを考えると死刑が妥当なのかもしれませんが、死刑にすれば罪を悔やみ反省する時間を奪うことになるかもしれません…

生きて罪の大きさに苦しみ反省することが、罪を犯した人が背負う十字架ではないでしょうか。

この世の魂は全て自分の分身です。

現世でどんなに優れた素晴らしい魂でも、過去世の中では罪深い時代を経験しています。

その経験を経て深く反省し、愛を持てるようになったから、現世では優れた人として生きられます。

悪魔を罰しても天使に変えることはできません。

悪魔を天使に変えるには、愛を与えるしかありません。

すべての魂は自分であることを自覚し、少しでも多くの魂に愛を注ぎましょう。

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