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死ぬのが怖い人の恐怖心が和らぐスピリチュアルな話

私は一度、生死の境を彷徨った経験から、「死」は恐ろしいことではないと感じています。

今まさに、死と直面していて、恐怖心が拭えない方もいらっしゃるのかもしれません。

やがて訪れる死に対し、漠然とした恐怖を感じていらっしゃるのかもしれません。

死に対し恐怖を感じている方の恐怖心が、少しでもやわらいで下さることを願います。

しかし、自殺はいけません。そのことについては後程ご説明させて頂きます。

死ぬのが怖い人は魂である自覚を持つこと

死ぬのが怖い人が、死の恐怖を克服するためにしなければならないのは「自覚を持つこと」です。

何の自覚を持つのか?

それは、私達自身は人間である前に「」であるということです。

人間とは、肉体を持った霊であり、私達の本質は魂です。

脳があって心があるのですが、その脳ですら魂があって動いているのです。心とは、魂のことです。

科学が進化したこの時代、霊というものを信じなくなり、私達の根本が魂であることを知らないがゆえ、不安に囚われ過ごしている方も多いのではないでしょうか。

誰もが持っている恐怖心の中に「死への恐怖」というものがあります。皆様も死について、考えたことがあるのではないでしょうか。

身近な人の死や愛する人の死を経験しているのなら、その悲しみの大きさは計り知れないものだったと思います。

そして、やがて訪れる死に対し、恐怖心が拭えなくなるのではないでしょうか。

今まさに、死と直面していて余命宣告を受けた方もおられるでしょう。

しかし、死に対する恐怖心を拭うには、死んでも意識は消えないということ、死後の世界が本来いるべき世界であり、その世界が存在することを知らなければなりません。

死とはいったい何なのかを知ることで、死に対する恐怖心を拭うことができるようになります。

死後の世界を信じることができれば、あの世に還っていく当人のみならず、それを見送る残された人達の死別の悲しみもやわらげることができると思います。

死ぬのは天国の始まりだから怖くない

「死は穢れ(けがれ)…」神道でも、死は穢れとされています。

私も小さい頃から、「死は穢れ」として教えられたように思います。

私の母は、テレビで報道される誰かの死を聞いては「あ〜ぁ…まだ若いのに…可哀想に…」と言うのが口癖でした。

だからと言うわけでもないですが、私は物心ついた頃には「死は穢れ」という意識が芽生えていました。

これは私に限ったことではなく、基本的に皆様も「死は穢れ」と考えたことがあるのではないでしょうか。

それが、この世の常識ですよね。

誰がか亡くなって「ご臨終です…おめでとうございます!」と言うお医者様を見た事がありません。

死は、この世で最も不幸な出来事とされているかもしれませんが、スピリチュアルの観点では全く違います。

亡くなることは、不幸なことではありません。

確かに、誰かが亡くなって、残された人達はとても悲しい思います。

その人物が亡くなったことを悲しむだけではなく、一家の大黒柱が亡くなれば、残された人達の今後の人生も大きく変わってしまいます。

もしも、それが我が子であれば、その悲しみを背負い生きていかなければならないのですから、これほど辛いことはないかもしれません。

亡くなった本人よりも、残された人達は大変なうえ、亡くなった人の無念を思うと気が気ではないでしょう…

しかし、それは亡くなった本人が成仏されるまでの話です。

成仏さえすれば、無念に苦しむことはありません。

なぜなら、スピリチュアルの観点では「この世は私たちのホーム」ではないからです。

私達が本来いるべき場所は、あの世なのです。

この世は、喜怒哀楽を経験しに来た一時的な旅行のようなものです。

「死」はこの世が終わり故郷へ還ることですから、亡くなった本人のことを考えると不幸なことではありません。

また、あの世には魂の家族がいるので寂しくありません。

成仏さえすれば、あの世の天国はこの世と比べものになりません。

あの世からすれば、この世は地獄。

地獄の中の天国など、本当の天国からすれば、たかが知れています。

自殺は例外!死ぬことで苦しみから逃れることはない

死んでも意識が消えることはありません。このことから言えるのは、死ぬことで救われることはないのです。

この世に行き詰まり、死ねばリセットされると現実逃避(いわゆる自殺)をしても救われることはありません。

死んでも意識は残る、尚且つ(なおかつ)やり直しがきかない、それこそ逃げ道のない苦しみが続くのです。

安易に自殺を考える人には、声を大にして言いたいのです。

「死んでも死ねません!」

自殺をして楽になれると思っているなら、それは大間違いです。自殺をすれば解決のしようのない、更なる苦しみを生むだけです。

「生きるのが嫌になったから自殺したい」「全てを失ったから自殺をしたい」…このように自殺のことばかり考えている人もいるかもしれませんが、そんな気持ちでは自分を救うことはできません。

「自殺したい」という低い想い(低い波長)を持っていては、現実を変えることはできません。

そして、仮に死んだとしても、低い世界にしか移行できず現世よりもより厳しい環境へ送られるだけです。

逃げてばかりいては、この世の天国にも、あの世の天国にも行けないのです。

もしも、すべての物質を失ったとしても、死後の世界には持っていけないものばかりです。物やお金など、あの世の世界では無意味です。

あの世に持って還れるのは「あなたの心」だけです。

このことが理解できたら、この世で何を失おうが、大切なのは「心」であることがわかります。心さえ腐らなければ、いずれは天国に移行することができます。

私達は人間である前に「魂」です。魂を磨く為には、心を磨くこと。例え、物質に恵まれなくても、心さえ曇らせなければ必ず道は開けます。それが、この世とあの世の法則ですから…そのことを忘れないで前を見て歩みましょう。

霊界の記憶がないから死ぬのが怖い、その理由

私達は、この世に生まれてくる時に霊界での記憶を捨ててきます。もしも、霊界の記憶があれば、死ぬことに恐怖を感じることはないでしょう。

しかし、私達に霊界の記憶がないのにも意味があります。

どういうことかというと…

もしも、この世に生まれてくる目的を明確にわかっていたら、そこには大きな発見もなければ感動もなくなります。

先がわからないからこそ様々な感情が芽生え、泣いたり笑ったり怒ったりできます。私達は、たくさんの喜怒哀楽を経験するなかで「大我の愛に目覚める」ことが本来の目的です。

この世は、たくさんの喜怒哀楽を経験できるから意味があります。答えを知っていては、十分な喜怒哀楽を味わうことができなくなります。

記憶を捨ててこの世に誕生しなければならないのは、答えを知らないからこそ、この世の意味深さが増すからです。

霊界の記憶がないからこそ死ぬのが怖くなり、人は懸命に生きるのではないでしょうか。

この世は喜怒哀楽を経験する修行の場

私達は、魂の向上を目指してこの世に修行にやってきたわけですが、この世の時間は限られています。

あれこれ考えているうちに時間は刻々と過ぎていて、死に近づいております。

若いからといって、時間が残されているとは限りません。場合によっては、明日突然死がやってくるかもしれません。いつ死が訪れてもいいように、懸命に生きなければ亡くなってから後悔する事になります。

人生には、たくさんの試練があって辛いこともありますが、それが永遠に続くことはありません。

成仏すればすべて報われます。

この世でどんなに幸せになろうが、どんなに不幸になろうが、それはこの世だけのもの、それが永遠に続くことはありません。

この世を懸命に生きれば、成仏して天国へと還れます。

この世を曖昧に生きて「あーすればよかった、こーすればよかった」とこの世に未練を残してしまえば、それが執着となり天国への道が開けません。

亡くなってから後悔しても、肉体がなければ何もできないのです。だから「憑依」という方法で、生きようとするのかもしれません。

そうならないためにも、懸命に生きることは大切だと思います。

「清く正しく美しく」生きることができれば、天国で幸せになれるでしょう。

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