「死後の世界はあるのだろか・・・」
「死後の世界はどんな世界だろうか・・・」
「あの世などない・・・」
「死後の世界を見た人の体験談を聞きたい」
みな一度は死んだあとどうなるのか考えます。
死んだら無になると言う人もいますが、人は死んでも意識は消えません。
なぜそう言えるのか?
以前私は危篤状態になり、地獄を見てきましたので、死んでも意識は消えないと悟りました。
死とはだだ肉体と意識が離れるだけにすぎません。
死ぬのが怖い方は、死後の世界を知ることで不安が和らぎます。
ここでは、あの世の地獄を見た人の体験談、死後の世界の階層、死後成仏するためにどうすべきかを詳しく書いていきたいと思います。
死後の世界の地獄を見た人の体験談
まず初めに、気になっている方が多いであろう、あの世の地獄を見たときの体験談から、お話させていただきます。
私は地獄の臨死体験を経験しています。
地獄に堕ちないためには、地獄に堕ちた人の体験談を参考にして、同じことをしないようにすればいいだけです。
地獄に堕ちないための参考にしてください。
私は20代後半の時、100万人当たり1.3人という低い確率で発症する、中毒性表皮壊死症になり、あの世の地獄を体験しました。
どうせなら天国を見たかったのですが、生前の行いが死後行く世界を決めるといわれている通り、当時の私はロクでもない人間でしたので地獄送りは当然でした。
地獄と聞くと地獄絵図にあるような、火あぶりの刑にされたり、針山を歩かされたり、鬼に虐待されるようなイメージを想い描くかもしれませんね。
地獄にも種類がありますが、私が経験したのはシンプルな暗闇地獄でした。
危篤状態になった私は、三途の川に行くこともなく、真っ暗な世界にいることに気づきました。
暗闇の中に、意識があるという世界です。
そこにあるのは暗闇だけ…
暗闇がどこまでも続くだけの世界です。
音も光も風も匂いもなく、右も左も上も下もわかりません、方角すらその世界にはありませんでした。
まるでブラックホールの中にいるかのような、自分が暗闇と同化しているような、言葉では言い表すことのできませんが、本当に何もない「無」の世界です。
私は暗闇の中で、悪事を繰り返してきた自分の人生を悔いました。
生前は忘れていますが、あの世の暗闇地獄にいくと、誰もが人のためになる事を目的とし、生まれていることを思い出します。
そのことを思い出した私は、せっかくの人生を我欲にまみれ台無しにしたことを悔やみました。
おそらく魂は、暗闇地獄に移行すると穢(けが)れが取れます。
だからなおさら、穢れていた自分を強く後悔し、気が狂うほど悔やみます。
地獄では、どんなに悔やんでもやり直すことができない現実に、自分の行いにもがき苦しむだけの時間が続きます。
逃げ道がどこにもなく、心が引き裂かれる感覚が永遠と続く、あれほどの苦しみはこの世にありません。
気が狂いもがいているうちに、突然意識が戻り一命をとりとめました。
この世で地獄の苦しみを経験したとしても、死という逃げ道がありますが、地獄に逃げ道はありません。
このことについては自殺後の地獄・自ら命を絶つと生き地獄以上の苦しみが待っているにも書いているので興味のある方は読んでみてください。
我欲にまみれ、現世利益をえたとしても、あの世に還れば地獄に堕ちます。
この世の地獄ほど甘いものではありません。
地獄に堕ちないように、良い行いを心掛けましょう。
人は死んだら死後の世界に移行する
私はあの世の地獄を体験したことで、死後の世界について勉強しました。
諸説ありますが、スピリチュアルでは死後の世界はいくつかのステージに分かれていると言われています。
そもそも死とはスピリチュアル的にどういうことなのか?
私達の本当の姿は「魂」であり、肉体は現世を生きている間だけの入れ物に過ぎません。私達の思考や言動は、脳が動かしていますが、その脳を動かしているのは魂です。
私達が生きている間は、肉体と魂(霊体)を繋ぎ止めるために、おへその辺りからへその緒のようなものがついていて、それが肉体と魂を繋ぎ止める役目をしています。
そのへその緒のようなものをシルバーコードと言います。生きている状態とは、シルバーコードで肉体と魂が繋がっている状態です。
死とは肉体と魂が離れ、シルバーコードが切れることです。
臨死体験や幽体離脱は、シルバーコードが繋がったまま、肉体と魂が離れている状態です。
もしも、シルバーコードが切れてしまったら、その時は死んだことを意味します。
シルバーコードが切れた魂は、スピリチュアルワールド(霊的世界)に向けてあの世の旅が始まります。
死後の世界は大きく4つの階層に分けられる
死後の世界と言っても一つではありません。
厳密にいえば、数え切れないほどの階層に分けられていますが、大きく4ブロックに分けられると言われています。
私達が生きているこの世を「現世」と言い、死後すぐに行くのが「幽現界」→その後「幽界」→「霊界」→「神界」へと魂の浄化レベルに合わせて移行していきます。
その過程について説明させて頂きます。
死後の世界・幽現界
死後、最初に訪れる世界を「幽現界」と言い、魂と肉体が離れたらまず「幽現界」です。
幽現界は、この世とあの世の中間地点のようなことろで、現世と重なりあっている部分であり、まだあの世とは言えません。あの世とこの世の狭間にある世界です。
亡くなったことに気づいていない霊がこの世と同じ生活をしていたり、亡くなったことを受け入れない霊がこの世と同じ生活を続けたり、この世への未練を断ち切るために生前できなかったことを行う世界です。
前述しましたように、現世と幽現界は重なりあっているため、現世にいる私達が幽現界にいる霊を目撃することもあります。目には見えませんが、私達は霊と関わりながら生きています。
幽現界にとどまる時間は人それぞれですが、多くの魂が四十九日程度であの世へ旅立つと言われています。「四十九日はこの世にいて一緒に生活をしている」などと言いますが、厳密に言えば、この世にいるわけではなく幽現界にいます。
もしも、この世に未練を残して旅立たないでいると、あの世への道が閉ざされ、あの世への道が開くまで、幽霊としてこの世にとどまることになります。
ですので、この世への執着や遺された人への心配事は、四十九日のうちに気持ちの整理をしなければなりません。逆を言えば、この世への未練がなければ、四十九日よりももっと早くにあの世へ旅立つことができます。
四十九日のうちにこの世への未練を断ち切ることができれば、次のステージの幽界に移行することができます。
死後の世界・幽界
先ほどの幽現界は、あの世ではありません。次にお話する「幽界」は、現世とは別の場所にあり、あの世です。
幽界は、無数のステージ(階層)に分かれていると言われています。
無数のステージとはいくつあるのかわかりませんが、何百…何万、何千万……億とあるのかもしれません。
私は、人それぞれのあの世があり、その数は無限大だと思っています。
そのたくさんのステージの中から、どのステージに行くのかは、生前の波長によって分けられます。つまり、「どのような心でこの世を生きてきたか」であの世の行く世界が決まります。
上層ステージは、いわゆる天国です。光に満ちた明るい場所と言われております。
[天国]
[地獄]
逆に、下層ステージは地獄となります。真っ暗で、どんよりしていると言われています。
不平不満ばかりを言っていた人は、不平不満ばかりを言う魂が集まるステージに進みます。あの世へ行っても、不平不満から逃れることはできません。
人を騙して生きていた人は、騙し合いのステージに進みます。
また、人殺しのような荒れた心で生きていた人は、人殺しばかりがいるステージに進みます。
殺りくを繰り返すだけの世界といった、地獄絵図の世界に行かなければなりません。互いに苦しめ合うだけの地獄です。
あの世の地獄に行きたくなければ、この世で理不尽なことがあっても、健全な心で正しく生きることが必要になります。
幽界では魂の浄化を行います。
生前、なぜ過ちを犯してしまったのか、なぜ悔いの残る生き方をしたのか、どこで人生を間違えたのかなど、些細なことであれ生前の行いを反省させられます。
私たちは大我の愛(利他愛)に目覚めるために生まれてきますが、大我の心を持っている人ほど天国に近いステージ行きます。
逆に、小我(自分本位な生き方)をしたまま死んだ人は、反省する箇所が多く、地獄のような辛い時間が長くなります。
ということは、悪いことをして反省のないまま死んだ人ほど、死後苦しい時間が長くなります。
いくらこの世で粋がっていても、死後の世界で辛い想いをします。
自分の過ちに気づき反省することが浄化になりますが、それは生きている時から行えることです。
自分の過ちに気づき反省すれば、死後の辛い時間が減っていきます。
また、言い訳ばかりして逃げた人や、一生懸命生きなかった人も、生前の生き方を反省できるまで浄化されません。
幽界で自分の過ちに気づき浄化されると、階段を登るかのように少しずつ上層ステージに近づき、いつかは最上部にたどり着きます。
幽界の始まりがどんな地獄のステージであろうが、目指すところは最上部にある霊界です。
霊界を目指して魂は浄化を続けます。
死後の世界・霊界
幽界でステージを上げ、最上部に到達した魂は「もっと素晴らしい魂になりたい」という気づきを得て「霊界」へ移行していきます。
霊界まで進んだ魂は、魂の浄化も進んでおり、名前や姿形、性別なども必要としない「光の存在」になります。
光になった魂は、現世で得た沢山の喜怒哀楽を持って、類魂(魂の家族)の待つグループ・ソウルと同化します。
グループ・ソウルは、霊界にいくつも存在していると言われ、私達もそのなかのひとつから生まれてきています。
グループ・ソウルがあるから私達が生まれたわけで、グループ・ソウル無くして私達が生まれることはありません。私達の守護霊も、同じグループ・ソウルにいるそうです。
グループ・ソウルには、これまで幾度と生まれ変わってきた叡智(えいち)があります。私達に送られる守護霊からのインスピレーションも、このグループ・ソウルの叡智があってのことです。
グループ・ソウルに同化して、また新たな魂がこの世に誕生し、この世での修行が始まります。
この世とあの世を繰り返し、自分の所属するグループ・ソウルの浄化が完全となれば、「神界(神の領域)」へと進んでいくそうです。
この「神界(神の領域)」に進むためにはグループ・ソウル全体の濁りをなくさなければなりません。
そのために私達は、幾度となく輪廻転生を繰り返し、この世の喜怒哀楽を持ち還っているのです。
現世のみを捉え一喜一憂するのではなく、グループ・ソウルとして捉えた時に、私達の浄化の旅、神界への道は果てしなく遠いことがわかります。
現世のみに捉われるのではなく、あの世や来世を見越した健全な生き方をすることが自分のためであることは、死後の世界を知れば言うまでもありません。
長い魂の旅のことを想い、なるべく健全な心で生きていきましょう。
死後の世界の時間
死後の世界の時間について、こんな話があります。
死後の世界には、時間の感覚はないとされています。
しかし、幽現界→幽界→霊界に至るまでの時間をこの世の時間に換算すると、30年〜50年とされています。
仏教では、50回忌を一区切りにしているのは、そのためと言われています。
私は寿命を全うし天国に還る日を楽しみにしていますが、皆様はいかがでしょうか。
いつ寿命が来てもいいように、濃密な毎日を過ごしましょう。